B型肝炎と集団予防接種の関係

B型肝炎と集団予防接種の関係

我が国の集団予防接種の経緯

我が国の集団予防接種の経緯 我が国の集団予防接種の始まりは非常に古く、明治維新直後の1874年(明治7年)に遡ります。1874年に「種痘規則」に基づき初めて予防接種が始まりました。その後、1876年の「天然痘予防規則」により罰則が伴う強制的な集団予防接種が行われ始めました。そして、明治の終わりから昭和に掛けて、コレラ・チフス・インフルエンザ・ジフテリアなどの予防接種が実施されました。

戦後に於いては、1948年に「予防接種法」が制定され予防接種は国民の義務 戦後に於いては、1948年に「予防接種法」が制定され予防接種は国民の義務とされました。対象疾病は、種痘・ジフテリア・腸チフス・パラチフス・百日咳・結核・発疹チフス・ペスト・コレラ・しょう紅熱・インフルエンザ・ワイル病が規定されました。
また、1951年に「結核予防法」が制定され、結核対策としてツベルクリン反応検査とBCG検査が実施されました。
そして、それぞれの予防接種について細かく接種時期が決められ、生後3ヶ月から小学校卒業前までに各種の集団予防接種が行われました。

集団予防接種の接種方法

集団予防接種の接種方法 1874年の「種痘規則」に始まり我が国の集団予防接種は、国家の方針で半強制的に行われました。また、戦後に於いても、GHQの占領政策の下で、集団予防接種は国民の義務とされた訳です。従って、集団予防接種の実施主体である市区町村長や都道府県知事は住民登録を基にして予防接種対象者を把握し、公民館や小学校や保健所などの指定した場所に住民を集合させて予防接種を実施しました。
そして、昭和23年の厚生省告示では注射針の消毒は一人ひとり行うことが定められ、更に、昭和25年の厚生省告示でも一人の被験者毎に注射針を取り替えることを定めましたが残念ながら実行されませんでした。
つまり、集団予防接種は多くの住民を対象に効率的に行う必要が有った訳で、現場に於いては厚生省の告示が守られず厚生省もこのことを放置したことが確認されています。
その結果、昭和50年代まで集団予防接種に於いて、注射針や注射筒が連続使用されました。少なくとも4人~5人で1本の注射針や注射筒が使用されました。

集団ツベルクリン反応検査 また、集団ツベルクリン反応検査に於いては、昭和24年に厚生省告示でわざわざ、「注射針は注射を受ける者ごとに固く絞ったアルコール綿でよく払拭し、1本の注射筒のツベルクリンが使用されつくされるまでこの操作を繰り返してよい」との結核予防接種心得が徹底されました。つまり、1本の注射筒のツベルクリンを複数の被験者のツベルクリン反応検査に使うことを厚生省が奨励していた訳です。
これらの集団予防接種の接種方法は、昭和63年の厚生省通達で一人の被験者毎に注射針や注射筒を取り替えることを定めるまで続きました。
結果的に集団予防接種によって多くの人がB型肝炎ウイルスに感染することを、厚生労働省は放置してきたことになります。
もし、昭和25年の厚生省告示の一人の被験者毎に注射針を取り替えることが確実に実行されていたとすれば、国の推定で45万人に上る大量のB型肝炎感染者を出すことは無かったことでしょう。
従って、厚生労働省と当時の官僚には不作為の大きな責任が有ると言えます。そして、このB型肝炎集団感染の厚生労働省と厚生労働官僚による不作為の構図は、薬害エイズ問題やC型肝炎問題と全く同根の問題なのです。

集団予防接種によるB型肝炎集団感染問題は国による補償が確定しています 集団予防接種によるB型肝炎集団感染問題は国による補償が確定していますが、当時の厚生労働官僚の責任が問われることはありません。